代表取締役社長
戸倉蓉子(とくら ようこ) Yoko Tokura
| 資格 | 一級建築士 イタリア政府認定インテリアデザイナー インテリアコーディネーター 看護師 |

経歴
看護学校卒業後、看護師として慶應義塾大学病院に勤務
人間は環境で生き方が変わることを悟り、インテリアの勉強を始める
インテリアコーディネート会社を設立
(株)プラニングファクトリーとして活動開始
イタリア・ミラノに建築デザイン留学。建築家パオロ・ナーバ氏に師事
帰国後、一級建築士取得
(株)ドムスデザインに改名
日本フリーランスインテリアコーディネーター協会(JAFICA)会長就任
ベトナムにドムスインターナショナルを設立
オール女性スタッフによる建築デザインオフィスの代表として、病院・クリニック・マンション・ホテル・公共施設など多岐にわたるプロジェクトを手がける
受賞歴
2025年 福島県建築文化賞 優秀賞(矢吹町複合施設 KOKOTTO インテリアデザイン)
2024年 JAFICA 未来に続くインテリアコンテスト 特別賞(矢吹町複合施設 KOKOTTO)
2022年 タカショー庭空間施工例コンテスト 和と創作の庭部門 金賞(ホテル福田屋)
2014年 キッズデザイン賞(ファミール産院 君津)
看護の心を、デザインに込めて
創業から30年以上。
手がけたプロジェクトは、病院、クリニック、マンション、ホテル、公共施設、オフィス、薬局、高齢者施設と多岐にわたります。
2016年にはベトナムに海外拠点を設立し、ミラノにもオフィスを構えるなど、活動のフィールドは国境を超えて広がっています。
私がデザインの世界に入ったのは、看護の現場からでした。

戸倉蓉子の軌跡
白い壁に囲まれた日々
私のキャリアの出発点は、建築でもデザインでもなく、医療の現場でした。
看護学校を卒業後、慶應義塾大学病院の小児病棟で看護師として勤務。
毎日子どもたちのそばに寄り添う日々を送っていました。
白い壁、蛍光灯の光、無機質な廊下。病院はどこまでも「病院らしい」空間。そして、その中で不運にも命を失っていく子どもたち。看護師としての無力さに苛まれる日々が続きました。
一輪の花が教えてくれたこと
ある日、私はささやかな変化に気づきます。
窓から光が差し込む部屋の患者さんは、表情がほんの少し明るい。花が飾ってある病室では、自然と会話が生まれている。
人は、環境で変わるのではないか。
医療の力だけでは救えなくても、環境の力で人を元気にすることはできるかもしれない。その気づきが、看護師だった私の人生を大きく変えることになります。

白衣を脱いで、ミラノへ
看護師になるために親族の反対を押し切ったのに、わずか2年でその白衣を脱ぐ決断をします。周囲からすれば、理解しがたい選択だったでしょう。
リフォーム会社に転職し、昼は現場で働きながら、夜間の学校で建築を学ぶ日々。インテリアコーディネート会社を起業しますが、私の中にはまだ「もっと本質的に、人を幸せにする空間をつくりたい」という渇望がありました。
表面を整えるだけでは足りない。建物の根本から変えなければ、本当に人の心を動かす空間はつくれないと思い、35歳でイタリア・ミラノへの建築デザイン留学を決断。
デザインの本質を学びに行ったミラノで世界的建築家パオロ・ナーバ氏と出会いました。パオロ氏から最初に教わったのは、線の引き方でも図面の描き方でもありません。
「その空間で過ごす人にとって、何が本当に大切なのかを、とことん考えろ」
いきなり線を引かない。まず聴く、観る、感じる、考える。それがイタリアのデザイン哲学でした。
そして、ミラノの街を歩く中で、私はもう一つの大きな感銘を受けます。何百年も前に建てられた建物が、今も人々の暮らしの中で生き続けている。広場にはカフェがあり、人々が語り合い、笑い合っている。建物は単なる「箱」ではなく、そこに集う人の人生そのものをつくっている。

建物という箱ではなく、お客様の未来を創る。
後にドムスデザインの信条となるこの言葉は、ミラノの街で生まれました。
一級建築士一発合格 ─ ようやく認められた日
帰国後、一級建築士を取得。看護師を辞めてから何年もの間、心配し続けてきた家族が、ようやく安心してくれた瞬間でした.
長い回り道をしてきた私にとって、この資格は単なるライセンスではなく、自分の選んだ道が間違っていなかったという証でした。
しかし、資格を取ったからといって順風満帆とはいきません。
一級建築士として最初の大きな仕事。
「イタリアの石や部材を使って、最高の空間をつくります」と意気込んで提案したところ、出てきた見積もりは予算の2倍。
お客様を怒らせてしまいました。
普通なら、そこで諦めて代替案を出すところでしょう。
しかし私は、自らイタリアに飛びました。
現地で直接交渉し、品質を落とさずにコストを下げる方法を見つけ出し、最終的にお客様の「夢」をそのまま実現させました。
お客様の想いを叶えるためなら、どこまでもやる。その覚悟は、この経験から生まれたものです。
「設計しない設計事務所」の逆襲
イタリアで学んだ哲学を日本の建築に持ち込もうとしますが、現実は甘くありませんでした。
それでも私は、図面を引く前に時間をかけ、お客様の話をとことん聴き、時にはライバルとなるクリニックやマンションに足を運び、覆面調査を行うという、自分の信じるスタイルを変えませんでした。
その徹底した姿勢が、やがて成果を生み始めます。
手がけた病院で「患者さんの表情が変わった」と言われたとき。
デザインしたマンションが満室を達成し続けているとき。
看護師時代に感じた「環境で人は変わる」という確信が、一つひとつ現実になりました。
建てる人から、未来を創る人へ
創業から30年以上が経った今、私の視線はさらに先を見据えています。
「設計しない設計事務所」は、今、「デザインコンサルティング」という新たな事業の柱へと進化しています。
自ら図面を引くだけでなく、プロジェクト全体の「頭脳」として、コンセプトの立案からブランディング、設計事務所の選定・監修までを担う。建物をつくる人から、建物の価値を創る人へ。
そして、ベトナム、ミラノと拠点を広げてきたグローバルな活動も、次のステージへ。
日本のデザインを海外に届け、世界の人々の暮らし環境をより豊かにすること。
看護師時代に芽生えた「環境で人を元気にしたい」という想いは、国境を越えてさらに大きなスケールで実現させます。
白衣を脱いだ建築家が、今日も「未来」を描いている
私が打ち合わせで必ず最初にすることは、「聴く」ことです。
お客様が描く未来の姿。抱えている課題。
言葉にならない想い。その一つひとつに耳を傾け、対話を重ねる中から、唯一無二のコンセプトが生まれます。
「環境を通して、人を健康に幸せにする」
看護師として病室で抱いたこの想いは、30年以上経った今も変わりません。
ただ、届け方が変わりました。
かつては一人の患者さんのそばで手を握ることしかできなかった。
今は、一つの建物を通じて何千人もの人を元気にすることができる。
戸倉蓉子は今日も、誰かの未来を描いています。

